キャシー中島の昔が美人すぎる!【画像】旦那さんとの馴れ初めが衝撃的?

キャシー中島さんの昔の美人すぎる画像です!

(画像引用元:https://oucedonc.com/)

タレントのキャシー中島さんの昔の画像が美人すぎる!と話題になっていますね♪

キャシー中島さんといえば、ハワイアンキルト作家として有名ですが、実は昔のモデル時代の画像が美人すぎて衝撃を受けてしまうほどです!

また、キャシー中島さんは旦那さんの勝野洋さんとの馴れ初めも、同じくらい衝撃的で、仰天エピソードに目が飛び出してしまいます( *´艸`)

この記事では、キャシー中島さんの昔の美人すぎる画像、旦那さんの勝野洋さんとの馴れ初め衝撃エピソード、お二人の素敵なご家族のお話をわかりやすくご紹介します。

 

キャシー中島の昔が美人すぎる!【画像】

それではさっそく、キャシー中島さんの昔の美人すぎる画像を見てみましょう♪

キャシー中島さんの昔の画像①

(画像引用元:https://oucedonc.com/)

キャシー中島さんの昔の画像②

(画像引用元:https://oucedonc.com/)

キャシー中島さんの昔の画像③

(画像引用元:https://mrandmsreed.com/)

キャシー中島さんというと、ハワイ出身のハーフタレントで、今ではハワイアンキルトの第一人者という感じで知っている人が多いみたいですが、

もともとは、モデルさんとして芸能界に入った方で、上記の画像は、キャシー中島さんの若い頃のモデル時代のお姿なのです♪

今でも若い頃の面影が確かにありますが、さすがモデルをされていた方らしく、昔の、若い頃の姿は、本当に美人すぎますね( *´艸`)

そんなキャシー中島さんですが、昔や生い立ちはどんな感じだったのでしょうか?

 

キャシー中島の昔は不良っぽい子?波乱万丈の人生

キャシー中島さんのプロフィールを見てみましょう!

【キャシー中島 プロフィール】
本名:勝野八千代(かつのやちよ 旧姓:中島)
出生地:アメリカ合衆国 ハワイ・マウイ島
出身地:神奈川県横浜市
生年月日:1952年2月6日
身長:約165cm(本人談)
血液型:B型
趣味:料理、日本刺繍、ビデオ、和食器・アンティーク食器収集、ガーデニング、フラダンス、スキー、猫を飼うこと
特技:キルト
所属事務所:株式会社スタジオ・ケイグループ

(引用:wikipedia)

キャシー中島さんのご両親は、

  • お父さんはアイルランド系アメリカ人で、軍人経験もある人
  • お母さんが日本とフランスのハーフ

です。

なので、キャシー中島さんは、厳密にいうと、ハーフではなくて、クォーターになります。

現在のトリンドル玲奈さんや藤田ニコルさんなどに負けない美人ですが、アメリカやフランスなどの別々の血筋が流れているのも、美貌の理由かもしれませんね。

キャシー中島さんの、今のハワイアンキルトにつながる、手芸などにに興味を持ったのは幼少時、

  • お父さんとお母さんが5歳のときに離婚しており、母子家庭で、一人遊びをしている時間がかなり長かったから

が発端のようです。

そのこともあってか、キャシー中島さんは小学校の卒業文集に、

「将来の夢は『手芸屋さん』。」

と書いておられて、4年生のときには手芸クラブに入って、スウェーデン刺繍をするほどのはまりっぷり。

小学生当時から、小さなものを切ったり張ったり、針で縫っていたりして遊んでいたそうですが、

両親が離婚したあとは、横浜の石川町で育って、10歳ごろまで住んでいて、キャシー中島さんの家の近くにはシャツを縫う内職をしている家や、材木屋、クリーニング屋さんなど、さまざまなお店がご近所にあったそうです。

それらのお店から、シャツの切れ端や、木目のキレイな材木の切れ端をもらって、それらを使って工作や手芸をしていたそうなのです。

そういった手遊びがきっかけで、みんなに声をかけられて友達ができ、地域で育っていたというのが、キャシー中島さんの幼少期でした。

一人遊びが好きだったキャシー中島さんですが、デビューするまでは、今でいうとこの、ちょっと不良っぽい子に変わっていったそうなのです・・・。

キャシー中島さんのご自身の言葉をご紹介しましょう。

心の中にモヤモヤするものが生まれたんですね。何をしていても注目度が高いんです。みんなと瞳の色が違うし、髪の毛の色も違うから。目立つから、何をしても怒られて。

それに対して反発心が芽生えてきたんです。

母には「それはあなたが思うだけで、(ハーフであることは)持って生まれたものなんだから、素晴らしいことなのよ」と言われたんですが、実際にみんなの私に対する態度は違っていたんです。

(引用:https://www.xn--u9jy52gkffn9q8qbux6ab4xi9c4wsx57a.com/cathy-nakajima-olddays)

それで母にも反発するようになって、同い年ぐらいの仲間と遊ぶようになったんです。“ザッツ不良”の世界ですよね(苦笑)。

ただ、母のことは愛していましたので、学校にはちゃんと行くんですよ。

それでも学校から帰って、着替えて遊びに出ては、夜の11時や12時まで遊んでいましたね。

(引用::https://www.xn--u9jy52gkffn9q8qbux6ab4xi9c4wsx57a.com/cathy-nakajima-olddays)

一般的な感覚、日本人であれば、ハーフということ、見た目もそうですが、やはり外見がステキに見えますし、美人でうらやましいと感じる人が少なくないでしょう。

ですが、それが思春期の女の子だったなら、周りとの差を感じて、コンプレックスを持ってしまうきっかけにもなってしまうかもしれません。

キャシー中島さんは、まさにご自身の外見をコンプレックスに思われていたのです。

そして、反抗期もあってか、夜な夜な横浜で友人たちと遊んでいたキャシー中島さんですが、彼女が気になって声をかけてきたのが、

  • 現代スタイリストの草分け的存在、堀切ミロさん

でした。

堀切ミロさんに、「あなたかわいいから、もう少し痩せたら、モデルで使いたいたいんだけど」

といったようなことを言われたそうで。

このことがきっかけで、キャシー中島さんは芸能界への道に進むことになります。

キャシー中島さんは、堀切ミロさんに、

キャシーさん「モデルになったらお金いくらもらえるんですか?」
堀切さん「あなただったら、月に3~5万円くらいにはなるんじゃないかしら」

当時は大卒の初任給が2万円か3万円くらいの時代だったので、かなりの大金だったことがわかります!!

キャシー中島さんのお母さんは、母子家庭で大変だったそうですから、キャシー中島さんはお母さんを助けるために、超絶大変なダイエットをして、モデルの世界に入ったそうです。

もともとふっくらしているのが自分としては普通だと、キャシー中島さんはのちに語っていますから、当時のダイエットは、本当に大変だったそうですよ・・・( *´艸`)

そのダイエットの方法は、

  • 食べないで下剤を飲む
  • それをくりかえして、3か月で20キロ落とす

といったかなり無茶な方法で痩せたそうなのです・・・(;一_一)

そして、17歳のとき(1969年)に、レナウンのCMに出演して芸能界入り(モデル)として経歴をスタート。

『カサノバ7』という今でいうアイドルユニットに近い感じで活動されていて、テレビにも出演されていました。

イタリア人男性5人と日本人女性2人の7人組グループ、カサノヴァ7(セッテ)。バックコーラスとそのソフトな演奏が、イタリアの雰囲気を醸し出すポップな演歌調歌謡曲。

編曲のブルーノ・ダラポッサは、ヒデとロザンナのロザンナ・ザンボンの叔父。メンバーのなかにロザンナの兄のフラビアーノ・ザンボンも在籍していたらしい。

二人の女性のうち、ひとりは若き日のキャシー中島。ただしレコーディングには参加していなかったよう。

これだけ綺麗なのに女優の道に進まなかった理由は、1973年にドラマ『雑居時代』に出演したときに、そのとき共演した杉田かおるさん(まだ子役だった)

  • 「お姉ちゃん、演技下手ですね。女優に向いていないんじゃないの?」

と言われたことが原因で傷ついてしまったと、2016年1月25日の「ライオンのごきげんよう」でエピソードとして話しておられて、実際に女優としてやっていくのはやめたと言われています。

自分には演技は向いていないと、ちょっと思っていたということでしょうか・・?

そこで、タレントやコラム執筆者として活動を続けられ、

70年代、80年代は、明るいキャラクターがバラエティに必要不可欠な存在になっておられました。

1972年には、バラエティ番組『ぎんざNOW!』のアシスタントに選ばれ、人気が爆発的に上がります。

しかしこの仕事は、たった3か月で降板になってしまったのです。

またその理由も、キャシー中島さんの独特で、エメロンシャンプーのCMにオーディションで合格したので、そっちがやりたいがために、『ぎんざNOW!』の仕事を降りた、のだそうです・・・。

このエメロンシャンプーのCMは、1年かけて世界中で撮影(イタリア、ポルトガル、カナダ、ニューヨーク、バハマなどで)するもので、他の仕事とバッティングさせることが不可能だったから、しかたなく、といった感じだったそうです。

しかも、この撮影が終わって帰ったときに、『ぎんざNOW!』のプロデューサーに「また私を使ってくれませんか?」といった、強いメンタルの持ち主!

そして、1979年に、母親が亡くなったのをきっかけに、芸能活動をストップさせます。

1984年には、林寛子さんと共同執筆した、ダイエット本の出版をきっかけにして、芸能活動を再開させ、本格的に復帰のきっかけになったのは、「笑っていいとも」の「テレフォンショッキング」だったそうです。

最初は「笑っていいとも」の「テレフォンショッキング」に、勝野にお話が来たんですよ。だけどスケジュールがつかなくて、「じゃあキャシーさん、出てよ」ということになって。

全然テレビに出ていないと言ったら、タモリさんも「いいじゃん!」って。

自分の宣伝もしていいと言うので「これがアメリカンパッチワークというキルトですよ」とキルトの宣伝もしたんです。

そうしたら急にまたテレビのお話が来るようになって。それが縁で小堺一機さんの「ライオンのいただきます」にレギュラーで出るようになりました。

ただ、当時は長男が幼稚園だったので、お昼の番組なら幼稚園が終わるまでに帰れると引き受けました。

どんなに遅くても4時には帰れると。“パートタイマータレント”でしたね。

1987年からは、人気もあった情報バラエティ番組『独占!女の60分』のアシスタントを4年間も続けました。

これ以降も、バラエティの出演やレギュラー、単発のゲスト出演などはありましたが、現在は、『ハワイアンキルト作家』、『執筆家』としての活動の方がメインですね。

40年間でキルトの書籍はなんと60冊も出版してしまうほど、精力的に活動されているのですよ!!

キャシー中島さんが現在のハワイアンキルトにつながるパッチワーク・キルトを知ったのは、モデル時代の後半の話だったようです。

モデル時代の終わり頃に、仕事でロサンゼルスに行ったときに出合ったんです。もともと子供の頃から大好きな世界でしたから、夢中になって。作り方の本と、生地と、ちょっとした縫い方も教わって帰ってきました。

ただモデル時代には、今ほどモデルさんがいなくて。名前のある人は10人か15人ぐらいだったかな。

だから1日3~4本も平気で掛け持ちするんです。赤坂スタジオに行って、青山スタジオに寄って、広尾スタジオで終わりとか。

化粧も毎回してもらうので、いつもスッピン。Tシャツ、ジーンズ姿で、靴だけは自前だったので大きなかばんに靴をいっぱい入れて駆け回っていました。現場でも待ち時間がなくて。メークをしてもらったらすぐに撮影。

だから大好きな手芸やキルトをする時間はモデル時代はほとんどなかったんです。まあ青春なので、デートする時間だけは確保していたんですけどね(笑)。

また、キャシー中島さんは、2019年6月から、息子さんの洋輔さんと一緒に、

  • 雑誌『毎日が発見』で、連載「毎日持ちたい小物」といった第一回のタイトルで、
  • 「キャシー中島&洋輔親子の かんたん手作りあれこれ」

といった連載を始めておられます♪

第一回では、

  • アロハシャツのポケットテイッシュケース

として、アロハシャツの形をした、かわいらしいティッシュケースの作り方の図解をしてくださっていました!!

アロハは、「優しい気持ち」「思いやり」という意味を持っているそうで、これをプレゼントすると、とっても喜ばれるそうです♪

 

キャシー中島は旦那さんとの馴れ初めが衝撃的?

キャシー中島さんと旦那さんの勝野洋さんの馴れ初めは、

  • キャシー中島さんの超絶・猛アプローチだった

のって、ご存知でしょうか?

キャシー中島さんの旦那さん・勝野洋さんです。

(画像引用元:http://pabaraba-net.com/)

キャシー中島さんの旦那さん・俳優・勝野洋さんは、ドラマ『太陽にほえろ!』にテキサス刑事として出演されていた方です。

渋い雰囲気が最高にカッコイイ、実力派の役者さんです♪

勝野洋さんとの結婚は、実は二度目で、キャシー中島さんには一度離婚歴があります。

当時人気絶頂だった勝野洋さんは、テキサス刑事が殉職する回で、歴代視聴率1位の偉業を達成されています。

2人の馴れ初めは、キャシー中島さんが、勝野洋さんの通っている店を探すなどして、猛アプローチして結婚できたと言われています。

勝野洋さんを初めてテレビで見たキャシー中島さんは、

「2度目の結婚は失敗したくない、勝野さんみたいな真面目な人だったら大丈夫じゃないかな、と思いました」

といった感じで語っておられます。

キャシー中島さんの猛アプローチのエピソードがコチラにありました!

それから知り合いや友達に「勝野洋、知らない?」と聞いて回りました。何人かが勝野さんがよく行く店を知っていて。私の親友、清水クーコさん(故人)と一緒にその店で張ってて。最初にあったのは10月。すごく酔っぱらってて。それから一緒に飲むようになって、12月に「うちにかわいいネコがいるから、こない?」と言ったら「行くよ」と。12月4日に付き合い始めて、婚約発表が年明けの1月11日でした。あんまり考えるスキを与えるのもまずいかなと思って(笑)。実は年末に勝野さんが、小野寺昭さんや石原裕次郎さんらと一緒にハワイに行くと言っていたので、旅行代理店の友達に電話して、ハワイ行きのチケットを取ってもらいました(当時、リポーターで出演していた)『独占!女の60分』の年内最後の放送が終わってから、勝野さんに偶然なんだけど、私もハワイに行くの」と連絡しました。「え?前から決まってたの?」と聞かれたから「そうよ、ほんとにびっくりしちゃうよね」と言って、ハワイで会ったんです。

そうしたら、「こんなに偶然が重なるなら、この女かな」と思って、結婚しようと決めたんですって。女はそのぐらいでいいんです、幸せになるためなら、たくらんでいいんです(笑)。実は、「女の60分」の最後に、「私、来年多分結婚します!」と言っちゃってるんですよね。

(引用:https://www.iza.ne.jp/)

すごいエピソードですよね・・・。一歩間違ったら、何か問題になってしまうような気が・・・(苦笑)

お二人が結婚された当時だと、女性が男性に猛アプローチするのはめずらしいことだったと思いますが、キャシー中島さんに流れている異国の血が、お二人の仲を取り持ったということでしょうか♪

 

キャシー中島は旦那さんとの現在は?病気を完治?

キャシー中島さんは旦那さんの勝野洋さんと、仲睦まじい暮らしておられるようです。

ですが、そんなキャシー中島さんですが、2016年2月10日に、皮膚がんのため、手術を受けていたそうです。

右目の下にできていた、イボのようなものが、実はがんだったらしく、「基底細胞皮膚がん」という病気だったそうなのです・・・(;一_一)

手術から、約3か月はリハビリでがんばって、その後に、正式に病気のことをオープンにされたとのこと。

2017年には、皮膚がんは完治したそうです。

さらに、キャシー中島さんは、1997年(45歳のとき)に、『ヘバーデン結節』という病気を発病しています。

手指の第1関節に瘤ができて激しく痛み、変形してしまう病気です。

右手の小指から始まって、時間を置きながら一本ずつ移っていくような感じでした。

今では両手の全指がヘバーデン結節になっています。

そして、5年ほど前からは両薬指にさらなる異変が表れました。

第2関節が変形する「ブシャール結節」です。ヘバーデンとブシャールは関連していて、

症状はほぼ同じ。左から始まり、今は右の薬指がとても痛い最中です。

「痛い最中」と申し上げたのは、いずれ痛みがなくなるものだからです。

初めは、急に右の小指が痛くなったんです。何だかわからないけれど、

指を見ると第1関節のあたりに瘤のようなものができていました。

痛みを説明するのは難しいのですが、とにかく「ガン!」という激痛です。

関節の軟骨がなくなって骨と骨がぶつかってしまう病気なので、

「ぎっくり腰」の痛みと似たものかもしれません。その後は触るだけで痛み、

眠れない夜もありました。

(引用:キャシー中島さん 公式ブログ)

ヘバーデン結節になってしまったその当時は、痛くて握手もできなかったほど、だそうです・・。

今ではもう無事に完治されていて、ハワイアンキルトも楽しまれていて、しっかり充実した人生を送っておられるようですよ♪

そんなキャシー中島さんの現在の年収は、5億円を軽く超すともいわれています。

キャシー中島さんは、子供の頃、映画で見たものや、モデル時代後半の経験から、今では、ハワイアンキルトの第一人者です。

スタジオKというショップを開いていて、そこでハワイアンキルトの販売だけで、上記の年収5億円という金額を達成されているらしいのです。

キャシー中島さんは、夫の勝野洋さんとご結婚されてから、東京の代々木にマンションを購入されたとのこと。

しかし、子育てに集中したいとのことで、御殿場に引っ越されています。

この御殿場の住居は、30代になったばかりのキャシー中島さんにとっては、かなり豪勢なおうちだったようで、

地価が安かった分、家の建設にお金をかけて、5LDKと、さらに、トレーニングルームを常設しました。

リビングに暖炉と、玄関は吹き抜けにして広々としたつくりにして、床はウォールナッツのフローリングといった、かなり贅沢なものに。

建物にお金をかけた分、庭は百日紅(さるすべり)の木を当初は一本だけ植えて、そこからキャシー中島さんは夫の勝野洋さんと相談しながら、生垣を作ったり、安い植木を買ってきてテラスを自作したりと、庭を作ること自体を楽しんでおられたそうです。

ご長男の勝野洋輔さんが生まれてからは仕事に復帰されますが、鎌倉にもう一軒自宅を購入して、ハワイアンキルトの教室やショップを一階で運営して、2階は週末に家族と過ごすためのものにしたそうです。

さらには、

  • ハワイの家(夏休みなどのバカンスのときに過ごす用)
  • 三軒茶屋の家(屋上に庭をつくって、桜やオリーブ、バラなどを栽培)されているようです。

計7軒の家を建てたそうですよ!

 

キャシー中島の昔の姿と家族

キャシー中島の長女・七奈美

キャシー中島さんの長女・七奈美さんです。

(画像引用元:https://www.oricon.co.jp/)

長女・七奈美(ななみ)さんの旦那さんは、ヒップホップダンサーとして活躍されている、猪田武さんで、

お二人は、2008年11月に婚姻届を出して結婚されています。

【猪田武 プロフィール】
生年月日:1979年11月2日(38歳)
職業:ダンサー、実業家
出身地:東京都

お二人は、お付き合い開始後3年目からは、キャシー中島さんご家族と一緒に住まれるなど、非常に家族ぐるみで仲が良く、お二人の結婚はとても円満に進んだといわれています。

しかし、キャシー中島さんの長女・七奈美さんは、29歳という若さでこの世を去ってしまいます。

死因は、肺がん。七奈美さんはタバコを吸っていなかったにも関わらず、です・・。

まだ、夫の猪田武さんとご結婚されて、わずか8か月目のことでした。

2009年2月、新婚旅行先であったハワイで「咳が止まらない」などの体調不良を訴えた妻・七奈美さん…
病院での検査の結果、肺癌(小細胞肺癌)が見つかるのです。

小細胞肺癌(しょうさいぼうはいがん)は喫煙者に多い癌で、増殖が速く、転移しやすいのが特徴です。
治療法は薬物療法や放射線療法に対する効果が高いものの、5年後の生存率は5~10%と極めて低いとも言われている癌でした。

七奈美さんはカテーテル治療や重粒子線・陽子治療などを試みましたが、2009年7月7日に七奈美さんは帰らぬ人となってしまいます。

享年29歳…
結婚して8ヶ月後のことでした。
葬儀と告別式は千日谷会堂(新宿区・一行院)で執り行われ、喪主は夫の猪田さんが務めています。

七奈美さんの夫・猪田武さんは再婚されたというウワサもあるそうですが、公表されている情報には正確なものはありませんでした。

また、猪田武さんは、現在でもキャシー中島さんのご家族と連絡を取り合ったりされているそうで、

  • 猪田武さんは、キャシー中島さんの亡くなった七奈美さんと一緒に、「アクセサリーショップ Manna Island(マナアイランド)を設立
  • 七奈美さんがジェリーデザイナーを務め、デザインとしては、天然石や貝、パールやサンゴなどを使用したハンドメイドアクセサリーを販売
  • 南青山で路面店を出店
  • 一度、三軒茶屋へ店を移動している
  • 2009年から株式会社化し、「㈱Manna Factory(マナ・ファクトリー)と名前を変えて七奈美さんの夫・猪田武さんが代表取締役社長に就任
  • ㈱マナ・ファクトリーの事業内容には、夫の猪田武さんのダンサーとしての活動も組み込まれていて、イベント・ダンス事業・音楽事業が入っている
  • 当時肺がんの療養中だったキャシー中島さんの長女で妻の七奈美さんのこともあってか、「がん」闘病啓発のためのチャリティー事業も、事業内容に入っている

そして、

  • マナ・ファクトリーの取締役副社長に七奈美さんの実の弟・「勝野洋輔さん」
  • 同じく取締役に七奈美さんの実の妹「勝野雅奈恵さん」が就任

キャシー中島さんのブログでは、猪田さんを大切に思っている気持ちの表れとして、

武ちゃんに聞きました、あなたの人生よ、まだ若いのだから 次に向かって、歩き出していいのよと、
武ちゃんの返事はここに書く必要はないでしょう。
とても大切な言葉でした。私達家族の宝です。

義理の息子、武ちゃんが会場に来てくれました!
本牧出身の武ちゃん、熱心に展示を見ていました!

(引用:キャシー中島さん 公式ブログ)

本当に再婚していて、キャシー中島さんの亡くなった娘さん、七奈美さんの夫という関係がなくなっているのであれば、『義理の息子』という表現は不自然だと思います。

今でも誠実な交流が続いている証拠ではないでしょうか?

キャシー中島の長男・勝野洋輔

キャシー中島さんの息子さん・勝野洋輔さん

1983年生まれで、俳優として活動していて、ハワイアンキルト家・手芸家・デザイナーとしても有名だとか。

2010年4月から約5年間、フランス・パリの刺繍学校に留学したご経験があります。

勝野洋輔さんをネットで検索すると、「薬」というキーワードが一緒に上がってくるのですが、

この件に関しては、勝野洋輔さんが違法性があるような薬を使用していたという事実はありません。

ちょっと有名になると、誰かが興味本位でこういったデマを流すので、関係ないご本人は本当に困りますよね・・・。

気を取り直して。

上述しましたが、

キャシー中島さんは、2019年6月から、息子さんの勝野洋輔さんと一緒に、

  • 雑誌『毎日が発見』で、連載「毎日持ちたい小物」といった第一回のタイトルで、
  • 「キャシー中島&洋輔親子の かんたん手作りあれこれ」

といった連載を始めておられます♪

息子の勝野洋輔さんは、

  • クレージーキルトのブックカバー

を紹介されていて、

好きな色柄の布を好きな形に切って組み合わせるだけのシンプルで作りやすいブックカバーを提案されていて、これを「クレージーキルト」というのだそうです♪

最初に布をアイロンで接着芯に張ってしまうので、縫うのがカンタンになり、ステキな刺繍の飾りをつける独特な個性あふれるブックカバーを提案してくださっています!

 

キャシー中島の次女・勝野雅奈恵

(画像引用元:徹子の部屋)

キャシー中島さんの娘さん、次女の勝野雅奈恵さんは、1982年生まれで、女優・フラダンサーです。

芸能界には、亡くなった七奈美さんと同時期に入っています。

1998年、大杉宣彦監督の映画「風の歌が聞きたい」でデビューされ、

【主な出演作品】

(ドラマ)
「水戸黄門」
「狩矢警部シリーズ」

(映画)
「俺は、君のためにこそ死ににいく」
「インターミッション」

2015年2月8日にスイス人男性、リカルドさんと国際結婚されます。

お二人の馴れ初めは、2013年2月に、まだスイス・チューリッヒ大学の学生さんだったリカルドさんが、来日して旅行されていたとき、だそうです。

(画像引用元:https://oucedonc.com/)

妹・雅奈恵さんとリカルドさんは、2016年に11月に女の子をもうけられました。

この子供さんは、稽留流産や自然流産など、計3回もの流産ののちに生まれた、念願の子でした。

雅奈恵さんは、トイレで流産したこともあったそうで、そのときのことを、

「トイレで(胎児を)拾ったときはつらかったです。強くなって、また私のところにきて」と祈りました」と言われていたそうです。

キャシー中島さんにとっては、初孫になります!



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